東京で消耗したい人生だった

地方郊外民によるクルマ・デジタルガジェット・カメラとかの話

日本における「若者のクルマ離れ」とかいうものの原因、やっぱりスマホなんじゃないか仮説

新幹線のライバルとはなんぞや

 大学時代(2005年くらい。もう10年以上前だ、歳を取ったものだ)、私の大変頭の切れる先輩が、某「新幹線で大半の利益を稼ぎ出しつつあとは徹底的にコストダウンしヲタから嫌われてる鉄道会社」の入社選考を受けた際、面接にてこんな質問をされたと言っていた。

「新幹線のライバルは、なんだと思いますか。」

 普通に考えたら飛行機か高速バスだ。いや、それでは当たり前すぎるしどんなアホでも最低限そのくらいの回答はできる。天下の大企業にはそれでは認めてもらえないだろう。フランスのTGV*1。いやヲタを最も嫌い、ヲタも最も嫌う逆相思相愛状態の鉄道会社にその答えは最悪だし、あの会社のメイン稼業は輸送であって輸出ではない。悩む私を尻目に先輩は得意そうに、こう回答したんだ、と言った。

「ITの進歩です。」

…今考えても、限りなくベストに近い良い答えだと思う。その企業の主力商品の提供価値や主要ニーズ*2の本質をとらえつつ、奇抜過ぎないけど突っ込んで聞いてみたくなるレベルの意外性・未来への展望も含んだ広い視野・そして以上を含む「この場で望ましい回答」を瞬時に理解し的確に回答できる瞬発力など、面接の回答で期待される要素をたっぷり含んでいる。

 果たして10年後の現在、通信技術の進歩で拠点間を結んだテレビ会議はガンガン普及しもはや当たり前になり、さらには在宅勤務を無限に認める企業まで現れ、「わざわざ移動して面と向かって話し合う」ことの価値は、儀礼的要素を除いてはかつてに比べて相当低下している(それでもその会社は高い乗車率を維持しているみたいだけど)。 

 

あれ?クルマもそうじゃね?

 で、ここからが本題。この話、実はクルマもおんなじなんじゃないか、と思ったわけです。若い世代からクルマというアイテムが求心力を失いつつあるのも、実は「ITの進歩」、もっと具体的に言えば「携帯電話〜スマートフォンの普及」が原因なのでは、と。
 スゲー当たり前でありがちなことを言ってると思った人、気持ちはわかるけどちょっと待ってほしい。さも既定の事実のように語られる「若者のクルマ離れ」において、最も原因として挙げられがちなのが「携帯・スマートフォンの普及」であることは私もよくわかっている。しかし、その理由が「携帯/スマホの維持にお金がかかるので、クルマまでお金が回せない」というよくある話、これはいち要因としてはアリだけど、クリティカルに正解ではない気がしている。
 「給料が低い」「新車が高いから買えない」、これもよく語られる原因だし間違ってはいないと思う。しかし車の寿命はここ20年くらいでかなり伸び、装備もどんどん充実している。いま世の中には、20年前の新車よりはるかに安全で快適に使える中古車が、(所得水準の低下分も加味した上でも)20年前の新車より余裕でお求めやすいお値段でゴロゴロしている。高い高い言われる保険料も車両保険をかけなければ実はそんなに高くない(そして安価な中古車に車両保険を掛ける必要性は薄い)。実際、(駐車場代の差以上に)所得水準の低い地方部の、さらに所得水準の低い高卒ヤンキーな若い人も、ガンガン軽自動車を乗り回している。ただしそれはお金をかける対象ではないし、冷蔵庫や洗濯機と同じような生活必需品として、だけど。
 つまり、いまだってクルマを買おうと思ったら恐らく買えるのだ。でも買わない、というか興味が無い、ということは、その「必要性」そのものが揺らいだと考えた方がいい。

 

クルマの提供していた価値はなんだったか

 では、かつてのわかいひとにとっての「クルマの必要性」、つまりクルマがかつての若い人々の間でどう機能していたかというと、ちょっと妄想入るけど恐らく「移動」と「パーソナルな空間の提供」だ。

 「移動」という機能は、クルマの根本的な提供価値であり、まぁ当たり前と言えば当たり前だ。大事なのは、「なんでサラリーマンがわざわざ新幹線に乗って行ったり来たりするのか」と同様、「なんで移動してたのか」ということだ。
 それは、移動しないと、恋人や仲間や友人とリアルタイムなコミュニケーションを取れなかったからだ。当時は免許なしで遠くの人とリアルタイムに話すツールは、電話くらいしかなかった。しかし電話は基本的に共有のものであり、実家暮らしなら家族の目を気にしなければならなかった。今ならLINEでほいほいっとできる1対1やグループでのコミュニケーションは、同じ場にいなければ成立しなかったのだ。ところが移動手段として公に存在する公共交通機関は、いまと同じくらいかそれ以上に貧弱で、なにより時間も場所もある程度制限されてしまう。ここに、「移動」へのニーズ、しかも「パーソナルで自由にどこでも行ける移動手段」のニーズが発生する。つまりクルマである。

 そしてもう一つ重要なのが「1対1、もしくはグループで周囲を気にせず話せるパーソナルな空間の提供」だ。これもリアルタイム連絡手段が共有の固定電話しかなかったことと本質は一緒だ。カラオケボックスも漫喫も今ほどわんさか存在しない。いきなりラブホは…まぁだいたいダメであろう。とにかく、プライベートにリアルタイムコミュニケーションする手段がメチャクチャ乏しかったのだ。
 80年代後半〜90年前後に若い人たちがこぞって借金して買い求め、とにかくバカ売れした2人乗りクーペ「日産シルビア」や「ホンダプレリュード」が、一体何と呼ばれていたか、リルタイム世代のアラフィフ以上の人や歴史に詳しい車好きならすぐわかるだろう。そのものずばり「デートカー」だ。ここでクルマの「周囲から隔絶された空間の提供」という価値がフルに発揮される。クルマに拘ったりだいたいみんな詳しかったりしたのも、「デートで使うから」である。かっこいい服を着てみたり、ちょっと小洒落たメシ屋を用意するのと同じ感覚である。カッコつける対象だったのだ。

 しかし今は、ご存知の通り気になるアノ子とのちょっと人には聞かせられないやりとりや、仲間内の秘匿なやりとりは、通話も含め極論LINEだけあればこと足りてしまう。あれ??クルマ、いらねぇじゃん。 

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日産シルビア(S13型)。いまでこそキモヲタ走り屋気取り御用達の同車も、現役当時はリア充がイチャイチャする用途がメインでした。

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ホンダプレリュード。助手席を倒すレバーが運転席側にあるという驚異の実用性で大人気に(なんの実用かはお察しください)。

 

クルマが負けたのは、コミュニケーション手段を取られたから

 まとめると、クルマが若者(の心)から離れたのは、「コミュニケーション手段としての価値がスマホに置き換わり、皆無になった」からだ。
 若い人、特にヒマな独身者の間で、今も昔も強く持たれている「コミュニケーションへの欲求」の発散を、かつては実はクルマがメチャクチャ強く担っていて、「クルマに求められるものの本質」もそこにあった。しかし、今はそこを根こそぎスマホがもってってしまった。もはや別にクルマなどなくてもイチャイチャできるし内輪でキャッキャすることもできる、ということである。

 つまり、いくらカッコいいスポーツカーを出してみたり社長が自らレースしてみたり若者()に媚びたクルマを出してみたり、残価設定ローンなどで買いやすくしてみたところで、釣れるのは一部の既にクルマヲタの人かこれからクルマヲタになる人のみであって、その他のわかいひとのマジョリティには「生活必需品として必要なもの」もしくは「オタク的なもの」の領域を出ず、心の中の真ん中に近いとこにクルマは来っこないのだ。

f:id:yamamoto_f:20170215205820j:plain2017年時点で買える最も美しい日本車ことマツダロードスターRF。ふつくしい。もしかして「メチャクチャ美しい」という「別の価値」を、ヲタ以外にも提供できるのではという希望の星。

 ここを解消するか別の価値を提示するかしない限り、このままクルマのポジションはジリ貧になるばかりな気がしている。それは、不幸にしてクルマやその運転やそれがある生活に楽しさを見出してしまい、クルマヲタになってしまった僕のような人間にとって、あんまりいいことじゃないし、もちろん自動車会社の国内部門やその周辺業界にとってもいいことではない。だが、それを変革する提案は、まだほとんど出てきていない。
 ではどうやって解決するか? 2017年におけるクルマを所有することの提供価値はなんなのか?それは、長くなるのでまた今度。

 

 

   

*1:2017年の今なら中国か

*2:余談だけど、アホ学生だった私は東海道新幹線の主要顧客はなんとなく旅行者だと平気で思ってて、実はほぼサラリーマンで埋め尽くされてることは想像できていなかった、アホですね。